IDEA
新型コロナから身を守る空間づくり
──スタッフ感染者ゼロの訪看事業者に聞く
Interviewee:Shoichi Tatsuta Interviewer:Yuko Shibata Writer:Hideto Mizutani
訪問看護の現場に学ぶ感染予防
神戸に拠点を置く、訪問看護ステーション「秋桜」。彼らは、新型コロナに感染しながら病院で医療を受けられない患者を、積極的に受け入れてきました。訪問先の家族構成や部屋の大きさ、住居の仕様も様々。感染予防のための設備が整った病院や高齢者施設などとは違い、訪問看護の現場では臨機応変に感染予防策を実施し、その時々で看護師が適切な予防方法を模索しています。
約260人の新型コロナ患者を8人の看護師で受け持ちながら、スタッフを一度も新型コロナに感染させることがなかった秋桜。そこでは数々の過酷な臨床経験を通じて、感染から身を守るノウハウが蓄積されていました。代表の龍田さんのお話をもとに、建築・道具の観点からその一端を紹介します。
この記事は『コロナ禍で分断された地域包括ケアを繋ぐ—訪問看護ステーション秋桜 龍田章一インタビュー』と合わせてお読みください。
家庭内感染しにくかった住宅とは
家庭内は新型コロナの主な感染ルートの一つ。コロナ禍当初から、大きな問題となっています。生活用品を共有しない、食事を別々に摂るなどの予防策が厚生労働省などから公表されていますが、そもそも家庭内感染が起こりづらい住宅のデザインがあるのではないでしょうか。多くの患者宅を見てきた、龍田さんのお話をもとにポイントを洗い出してみました。
築古で機密性が低い住宅
古い木造住宅は、集合住宅や近年建てられた木造住宅に比べて気密性が低く、隙間風などを通す傾向があります。そのため、住宅内に密閉空間が発生しづらくなります。
換気扇が多い住宅
一般的な住宅では、換気扇はキッチン・浴室・トイレなどの水回りに据え付けられているのが普通です。しかし住宅によっては、居室に換気扇が設けられているケースもあります。その場合、患者のエアロゾルが屋外に排出されるため、密閉空間を避けることが可能です。夏や冬など、窓を開けづらい時期でも換気扇を回すことで、換気できるのも特徴の一つです。
(画像左)一般的な住宅に一番多い換気扇の配置。給気は居室から、扉の隙間を通って水回りに設置された換気扇で排気するという経路をたどります。(画像右)感染症対策に有効だと考えられる換気扇の配置。各居室内に給気と排気を設置することで、空気の循環を一室で完結させ、他の部分へのエアロゾルの拡散を防ぎます。
トイレが2つ以上ある住宅
最近では、高齢者の自宅を改装する際、寝室の中にトイレやシャワーも設置するケースが見られるようになりました。寝室で生活が完結するため、家庭内感染のリスクを下げることができます。仮にそういった間取りでなくとも、階ごとにトイレがある住宅であれば、簡易的なゾーニングを行うことが可能になります。例えば、2階を新型コロナ患者専用の空間としてゾーニングすることも一つの手段になるはずです。
(画像左)住宅のバリアフリー改築の事例。寝室に高齢者専用のトイレと浴室を設けると、トイレの共有などによる感染を防ぐことができます。(画像右)一般的な2階建の住居。各階にトイレがあれば、患者を2階に隔離し、家庭内感染を予防することができます。
看護師を感染から守る道具と場所づくり
ここからは、訪問介護の現場となる住宅で「秋桜」が行なっている様々な工夫を取り上げます。
訪問看護の現場では、事業所から患者の自宅まで薬や医療機器など、看護に必要なものをバッグに入れて持ち運びます。それは通常時も新型コロナ患者の訪問看護でも同様です。
一方、秋桜では患者の自宅に訪問する際、プラスチック製のカゴを利用しています。以前は布バッグを利用していましたが、衛生面を考えて現在の形に落ち着いたとのこと。プラスチック製のカゴは、アルコールを使って丸ごと消毒できる上に、丸洗いもできるのが便利なポイントです。
新型コロナ患者の訪問看護では、2種類のカゴを現場に持ち込みます。1つは、聴診器や体温計、薬など一般的な訪問看護でも使われるもの。もう一つは新型コロナに特化した道具が入ったカゴです。
通常の訪問看護の場合、患者の自宅に道具を置いておくこともあります。ですが、新型コロナの患者は同時期に訪問する人数が非常に多く、数が追いつかないためこのようなセットを持って看護を行います。
新型コロナ患者向けのカゴには、以下の道具が入っています。
●古新聞
●お絵かきボード
●感染防護具セット
(ゴーグル/マスク/防護服/シューズカバー/ヘアキャップ/手袋)
●アルコール綿
●アルコールスプレー
主に防護具や清潔を確保する道具が含まれていることが分かりますが、一見何に使うか分からないものも入っています。いくつか詳しく見ていきましょう。
玄関にイエローゾーンを作る古新聞
病院やクリニックとは異なり、訪問看護の現場は患者の自宅です。もちろんゾーニングは設定されていないので、看護師自らが即席のグリーンゾーン・イエローゾーンを作る必要があります。古新聞はゾーニング[*1]の大切な材料です。
患者宅に入ったらまず古新聞を玄関に敷きます。もちろんマスクや手袋などは外で着用しますが、防護服は古新聞で作ったイエローゾーンの上で着ます。この時、患者にはなるべく玄関から離れた家の奥の方に行ってもらいます。本当は外で防護服を着たいところですが、周辺住民の視線から患者を守るために、秋桜では訪問先の玄関で着用するという配慮をしています。
[*1]:感染症などの隔離対象者がいるエリアとその他を区分けすること。レッドゾーンは隔離対象者が在居しているエリア、グリーンゾーンは通常業務をするエリアとし、その間にあるイエローゾーンはレッドゾーンに入るために防護服などを装着する前室としての役割があります。
(一人暮らしの間取りの場合)玄関から一番遠い場所に患者に移動してもらい、住居に入ってから玄関に敷いた新聞紙の上で防護服を着用します。その際、壁などに手をつかないように着替えを完了させます。
バイタルチェックのためのお絵かきボード
患者の自宅に到着すると、看護師は血圧や体温、脈拍などを計測します。これをバイタルチェックと言います。通常、バイタルチェックで取得したデータは、紙に記録していくのが一般的。しかし、新型コロナウイルスはコピー用紙の上でも、数時間程度残存すると言われています。清潔を保ちながらの紙の運用は難しいものでした。
そこでいま活躍しているのがお絵かきボード。磁石の力で文字や絵を書くことができ、本体はプラスチックで出来ています。紙のメモ帳では難しいアルコール除菌も、お絵かきボードなら濡れを気にすることなく可能です。
秋桜では当初、100円ショップのお絵かきボードを使っていましたが、画面にアルコールがかかると文字が消えてしまうため、現在は600円程度のお絵かきボードが使われています。
感染防護具
感染防護具は使い捨て。チャック付きのビニール袋に複数回分が収められています。写真は、カゴの中の感染防護具セットを看護師が着用した姿です。
頭部をヘッドキャップで、顔をゴーグルとマスクで覆います。さらにエプロン形の防護服で全身を、手と足はそれぞれ手袋と二重のシューズキャップで守ります。この防護具は住居を出る際、玄関に敷かれた古新聞の上で脱いで、ビニール袋にひとまとめにして持ち帰り保管します。
ぐるぐる巻きノートPC
訪問看護の現場にノートPCを持ち込む場合、全面にサランラップを巻きます。除菌のしにくいキーボード部分も簡単に保護可能。訪問先を出る際にこのサランラップを取り替えます。
訪看の現場から学ぶ高齢者住宅の今後
秋桜が担当した新型コロナ患者約260人の中で、家庭内感染を起こさなかった世帯は、およそ10世帯程度。家族間で感染を防ぐのは、とても難しいということが分かります。感染しづらい住空間のあり方を考えることは、おそらくまだしばらくは続くであろう新型コロナ下の社会において、避けられない課題だと言えるでしょう。また、医療従事者のコロナ感染による人手不足というニュースもよく目にするようになりました。医療従事者が感染しにくい環境を作ることも、医療リソースを守る為の重要なテーマとなるのではないでしょうか。
ビフォー・コロナでは、介護のしやすさや高齢者の自助のしやすさに配慮をした高齢者住宅が作られてきました。しかし、ウィズ・コロナの高齢者住宅では、それに加え隔離と換気、消毒などを実行しやすく、訪問看護や訪問介護の受け入れのしやすい住宅設計が、求められるのかもしれません。すでに高齢者施設の設計では、「玄関や風除室に手洗いを設ける」、「全ての入口に除菌マットを置けるようにする」など、様々な感染対策が設計に盛り込まれ始めています。
これまではあまり想定されていなかった、自宅という療養環境。秋桜が新型コロナ患者の在宅医療の現場で経験した数々の出来事は、高齢者住宅の設計に大きなヒントを与えてくれました。