RESEARCH
【前編】地域包括ケアを、地域の日常から編み直す
—まちおか 理事長 藤井雅巳インタビュー
Interviewee : Masami Fuji Interviewer&Writer : Yuko Shibata Photographer : TAKEZO
医療、福祉、介護が連携する地域包括ケアシステムの実現には、医療、介護、福祉、行政、地域住民など、異なる立場の人々の連携が欠かせません。
しかし、厚生労働省委託事業「令和4年度在宅医療・介護連携推進事業に係る調査等事業」では、市区町村の71.8%が「事業を総合的に進められる人材の育成」を、70.7%が「事業実施のためのノウハウ不足」を課題に挙げています。
仕組みは示されていても、それを地域の日常の中でどう動かすのか。その方法は、まだ十分に共有されていません。
「ことととぶき」の記事「『あるといいな』を重ねて、地域のよりどころをつくる――ヨリドコ小野路宿」で紹介したヨリドコ小野路宿は、こうした課題に向き合う実践の場です。
長野県で地域包括ケアを先駆的に実践してきた医師鎌田實氏との出会いをきっかけに、その考え方を現代の地域に合わせて捉え直し、新たなモデルとして発信する。
前編では、「ヨリドコ小野路宿」を運営する まちだ丘の上病院理事長の藤井雅巳さんに、その経緯や思いについて伺いました。後編では、ヨリドコ小野路宿の運営ノウハウと、その根底にある病院運営やまちづくりへの考え方をひもときます。
この記事は「あるといいな」を重ねて、地域のよりどころをつくる― ヨリドコ小野路宿と合わせてお読みください。
「日本を元気にしたい」という思いから
ーーまず、これまでのご経歴を教えてください。
社会人になったのは2001年です。当時は景気が悪く、日本人が自信を失っていた時期でした。なんとなく、「日本を元気にしたい」と思っていたんです。
組織や企業の営みを通じて、経営をすることで日本が元気になっていくような仕事をしたいと思い、大学卒業後は政府系の金融機関に就職しました。ただ、金融機関では自分のやりたいことを実現するのは難しいと感じ、3年で退職しました。その間にアメリカの公認会計士の資格を取り、次にコンサルティング会社へ転職しました。
けれど、コンサルタントは、依頼された課題を解決する仕事です。自分で何かを始め、主体的に経営したいという思いとは、少し違っていました。それで、自ら投資をし、オーナーとして会社を良くしていく投資ファンドを選びました。
結果的に、投資ファンドには11年ほどいました。企業再生に携わるなかで、病院に関する相談が多くあり、僕も何件か病院の再生を手がけました。
黒字になっても、親を入院させたいとは思えなかった
ーー病院の再生では、どのようなことをしていたのでしょうか。
病院経営は、制度が厳しくなり、人手不足もあって難しいと言われています。一方で、改善の余地が多く残されている病院もあります。経営のノウハウを入れることで、赤字だった病院が改善することは珍しくありません。
ただ、あるとき、病院は黒字になったけれど、
「果たしてこの病院に、自分の親を入院させたいだろうか」
と思ったんです。答えは、イエスではありませんでした。
たとえば、寝たきりになり、経管栄養や人工呼吸器を取り付けると、診療報酬上の点数が上がり、収益が増える仕組みがあります。反対に、手間をかけて食事介助をし、口から食べられるようになると、点数が下がる場合がある。患者さんが回復して元気になれば、病院へ戻ってこなくなることもあります。
そうすると、患者さんを良くすることと、病院の経営を良くすることが、必ずしも同じ方向を向かない場面が生まれます。患者さんにとって望ましいことをすればするほど、病院の収益が下がることがある。その構造に、大きな疑問を感じました。
「帰りたい」と思える地域をつくりたい
ーーその疑問が、ヨリドコ小野路宿を始める背景になったのでしょうか。
もう一つあります。それは、自分が「帰りたい」と思える地域をつくりたい、という願望がずっとあったことです。
僕の親は転勤族で、僕自身は埼玉県のニュータウンのような場所で育ちました。親は今もその近くに住んでいますが、そこへ帰っても、自分の故郷に帰ってきたという感覚が、あまりないんです。
では、「帰りたいと思える場所」をつくるとは、どういうことなのか。
敷地奥の竹林から小野路宿の街を見る
その地域で暮らしながら受けられる医療の選択肢が少なければ、最終的には病院に入院したまま亡くなるか、介護施設へ入るしかないことが多いと思います。そうではなく、地域の中で、死ぬときまで暮らし続けるために、最後まで関わってくれる病院があったらいい。
自分が最期まで、自分のありたい状態や暮らしを続けられるように支える病院をつくりたい。そう考えるようになりました。
鎌田實さんとの出会いから、実践の場へ
ーー「最期までその地域で暮らし続ける」という視点が、出発点にあったのですね。
独立する際に、コンサルティング会社とは別に、一般社団法人地域包括ケア研究所を立ち上げました。きっかけは、鎌田實先生との出会いでした。鎌田先生は、長野県で地域包括ケアを先駆けて実践してきた方です。
独立する数年前に鎌田先生とお会いしたとき、先生は70歳を前にして、もう少し地域で医師として関わりたいという思いを持っていました。
一方で、地域包括ケアシステムは、全国で必ずしもうまく機能しているとは言えません。そこで僕は、「長野県で生まれ、実践されてきた地域包括ケアを、全国にもう一度きちんと伝え直す必要があるのではないですか」と話しました。
すると、鎌田先生が「いいね。それを一緒にやろう」と言ってくださり、一緒に地域包括ケア研究所をつくることになりました。
ヨリドコ小野路宿の近くにあり、小野路宿の観光の拠点となっている「小野路宿里山交流館」
ーー研究所をつくったあと、なぜ病院を運営することになったのでしょうか。
「地域包括ケア研究所を名乗るのであれば、自分たちも実践者でありつづける必要があるのではないか」という話になったんです。それで、「だったら病院をやろう」という流れになりました。
そのとき、たまたま出会ったのが、まちだ丘の上病院でした。当時の病院は廃院を前提としていて、「半年後には閉院される」というところまで来ていました。ただ、まだ患者さんがいて、働いているスタッフもいました。
「小野路宿里山交流館」の庭
その頃、病院にいたスタッフの方と出会い、「これから地域を支える医療機関づくりをするのであれば、僕も関われると思います」と話したところ、意気投合しました。そこで、僕や鎌田先生たちが病院を引き継ぎ、地域を支える医療機関として再出発させることになりました。
他の地域では、僕たちは外から関わる「風の人間」として活動しています。地域の外から入り、その土地で行われている取り組みに関わる立場です。
一方で、この町田のプロジェクトでは、外から助言するだけではなく、僕たち自身が病院を運営し、地域の中で実践を続ける「土の人間」になろうと考えました。
町田では、一つの地域に身を置き、そこで暮らす人たちとの関係をつくりながら、地域包括ケアが実際にどのように成り立つのかを、自分たちの事業として実践していく。町田は、僕たちにとって、外から支援するだけではなく、地域の内側に入り、土着のプレーヤーとして関わる場所だったんです。
里山の豊かさと、移動の不便さ
ーー小野路は、どのような地域ですか。
町田市全体で見ると、高齢化率は平均的ですが、小野路はそれより少し高いと思います。一方で新しい家も建ち、若い世代も入ってきています。江戸時代からこの地域に暮らす一族の方もいれば、最近移り住んできた方もいて、そのあいだにグラデーションがあるような地域です。「30年住んでいても、まだ新参者と言われる」という話も聞きます。
まちだ丘の上病院は街の端の坂の上にある
小野路宿通りは、かつての宿場町の通りです。牧場を営む方や専業農家もいて、東京とは思えないような環境が残っています。ただ、買い物ができる場所までは車で10分ほどかかります。バスは1時間に1本で、小学生もバスで通学しています。交通の影響を受けやすいのは、子どもや高齢者です。
まちだ丘の上病院は、その名のとおり坂の上にあります。車を運転しない高齢の方が自力で行くのは難しく、お子さんに送ってもらう方もいます。連絡をいただき、可能な範囲で麓まで迎えに行くこともあります。
坂の上にある「まちだ丘の上病院」
病院は、地域で暮らすための「一つの選択肢」
ーー病院という医療の場から、病院の外にヨリドコ小野路宿をつくるまでには、どのようなつながりがあるのでしょうか。
病院は、あくまで一つの選択肢だと思っています。通院で治らない方は入院する必要があります。でも、入院する必要がなくなったら、地域へ戻ればいい。多くの患者さんもそうしたいと思っていますが、実際には、様々な事情でその選択肢がないことがあります。
さきほどお話ししたように、病院には、ある意味で患者さんを囲い込む方が、経営上は成り立ちやすいという側面があります。だからこそ、病院の中だけで医療を考えるのではなく、地域全体を意識して関わることが重要だと思っています。
その人がもともと、どのような暮らしをしていたのか。病院を退院したあと、どのように暮らしていくのか。そこを想像しながら患者さんに関わらなければ、病院として本当に良い支援はできないと思っています。
小野路宿がある鶴川第1圏域の健康指標等
出典:一般財団法人ひふみ会『まちおかが目指すこれからの「地域共生社会」』2026年7月作成(町田市『町田市いきいき長寿プラン24-26』をもとに作成)
体調としては退院できる状態でも、退院後の暮らしが成り立たなければ、実際には退院できません。だから、私たちは「食べること」への支援にも力を入れています。
たとえば、経管栄養が必要な状態のままでは、介護施設に戻れなかったり、家族が自宅で介護することが難しかったりします。ADL[※1]が平均的な水準まで回復しても、自宅に階段があって、階段を上れなければ暮らせません。トイレも同じです。
ヨリドコ小野路宿の利用者数の変遷
出典:一般財団法人ひふみ会『まちおかが目指すこれからの「地域共生社会」』2026年7月作成
一般的な回復の基準だけではなく、その人が実際に戻っていく暮らしを前提に、「どこまで病院でリハビリをする必要があるのか」を考えなければならない。大切なのは、患者さんの暮らしを想像しながら関わることです。
地域で暮らし続けるための選択肢の一つとして、病院や介護サービスがある。そして、入院するほどではない時期や、在宅と入院のあいだには、制度だけでは埋められない領域があります。そこで、暮らしの中で健康をどう維持し、どう予防し、必要なときに医療や介護へつながるのかを考えることが重要になります。ヨリドコ小野路宿は、そのための地域との接点として生まれました。
※1:食事、更衣、排泄などの生きていくために最低限必要な基礎的な日常生活動作のこと
後編では、年間約1万2,000人が訪れるヨリドコ小野路宿で、なぜ参加者が活動の担い手へ変わっていくのか。主催者が「主催しない」運営、医療者との距離を縮める工夫、そして収益だけでは測れない事業価値について、詳しく伺います。


