IDEA

介護のプロが本気で創った介護老人保健施設
——鶴舞乃城で高口光子が形にした介護哲学

Presenter:Mitsuko Takaguchi Writer:Yuko Shibata

介護施設の設計においては、介護現場を熟知する職員の参加が重要であるにもかかわらず、彼らの多忙さから、実際の介護現場の意見がほとんど反映されず、設計者と事業者だけで設計が決定されることが多いのが現状です。では、介護のプロが徹底的に関わった介護施設とはどのようなものになるのでしょうか?今回ご紹介する「元気がでる介護研究所」主宰の高口光子さんは、その理想を具現化された方です。

高口さんは長年にわたり介護の現場で指導や改善活動に取り組み、特に介護職員のケア技術やメンタルサポートに注力しています。施設での介護現場で得た実体験や知識を活かし、介護職員の負担を軽減しつつ質の高いケアを提供するための講演や執筆を行っています。そんな高口さんをホストに迎えたイベント「明日の介護を元気にしたい SPARK 2024」において、ことととぶきを主宰する柴田と高口さんが「良い介護施設」をテーマにセミナーを行いました。長年にわたり介護現場で高齢者に向き合い、介護について深く考えてきた高口さんは、介護のしやすさだけでなく利用者さんが自立して生活できる最適な空間、そして職員と利用者の健全な関わり方を実現する空間づくりについて語られました。

高口さんのお話の中心は静岡県静岡市にある鶴舞乃城という介護老人保健施設(以下 老健)[※1]。高口さんは施設の看介護部長(現場の統括責任者)として設計者と協議を重ね、介護現場での豊富な経験を基に理想の介護空間を実現するために尽力しました。

高口さんが鶴舞乃城で目指した5つの目標は、「最後まで普通にトイレに行ける施設」「最後まで口から食べることができる施設」「最後まで普通のお風呂に入れる施設」「一切の身体拘束を行わない施設」「ターミナルケアができる施設」でした。一見するとそれほど難しい目標には思えませんが、当時の介護保険法では実現が難しいとされ、誰からも賛同を得ることができなかったそうです。しかし、最終的にはこれらの目標が鶴舞乃城で実現されました。介護理念がどのようにして介護空間に反映されていくのか、その興味深いプロセスの一部をご紹介します。

今回の記事は講義の中の介護空間に関する部分のみを取り上げています。高口さんの講義の全ての内容をご覧になりたい方は、「明日の介護を元気にしたい SPARK 2024」の有料視聴にお申し込みください。申し込みは➡️➡️➡️👭👬こちら👭👬

新しい老健に関わることになった経緯

長年、介護の現場で働いてきましたが、ある時から、問題のある施設の改善に取り組む仕事をするようになりました。職員を採用しても次々と辞めてしまったり、虐待などの問題がある施設の立て直しを行ってきました。そんな中、新しい施設の運営を最初から任せたいという依頼を受けました。私が担当した老健「鶴舞乃城」は、介護度3以上の、あまり活動的ではない利用者が多い施設です。

新しい施設を作る際、病院のような雰囲気は避けたいと思いました。従来の施設のような形式も好ましくないと感じていました。また、当時流行していた「家庭的」というコンセプトも避けたいと考えました。なぜなら、家が嫌になった高齢者が来られる施設だからです。施設が家庭的であることにとらわれ過ぎると「また家か…」と感じさせてしまいます。

ここは、病気の治療が済んでも、もとの体には戻れないので、今まで通りの生活では暮らしていけない人の新しくその人らしい生活を作るための空間です。目が見えない、手足が動かない、息子の顔がわからないといった、(自宅で生活できなくなった利用者さんが)あるがままの今の自分で生きていく生活を、この施設と呼ばれる空間で新たな生活を築いていくための挑戦の場です。

※1「介護老人施設とは」(作成柴田木綿子建築設計事務所)
※本図は講義内では使用されていません
介護老人保健施設(老健)は、介護が必要な高齢者の自立を支援し、家庭への復帰を目指す施設です。医師による医学的な管理のもと、看護や介護のケアをはじめ、作業療法士や理学療法士によるリハビリテーション、栄養管理、食事、入浴などの日常生活に関わるサービスが提供されます。これにより、利用者が安心して生活できる環境を整え、より豊かな生活を送るための支援が行われています。

夜勤を中心に考えられた平面プラン

当時、静岡県では老健施設の開設許可を得るためには、全室個室のユニットケアが必須とされていました。それに基づいて設計者から提示された図面は、10人を1単位とする2つのユニットが分断された平面図でした。20人の利用者を1人の夜勤職員が16時間にわたって対応するんです。ユニットが分断されているような環境で、そんなことをしたら夜勤が潰れてしまいます。

そこで、設計の基本方針として、まずは夜勤業務に焦点を合わせることに決めました。

両ユニットの角にある流し台から、ふたつの食堂を見渡す。食堂の奥には個室が並ぶ。

夜勤に重要なのは、まずは音です。音がよく聞こえる空間が良いです。次に視野です。ここでは、10人単位の2ユニットがL字に配置され、分断されることなくつながっています。その角の部分には流し台が設置されており、職員がそこに立てば、20人の利用者全員の音を聞き取りながら、全体を見渡すことができます。職員が全体を見渡したいと考えている一方で、利用者さんは皆と一緒にいたい気持ちと、一人でいたい気持ちを同時に抱えています。見守っていてほしいと思う一方で、見られたくないという思いもあります。これらに応える設計・動線を要求しました。

2階平面図(作成柴田木綿子建築設計事務所)
※本図は講義内では使用されていません

動線に関しては、まず一切の垂直移動をなくしてくれと言いました。食事に行くとかお風呂に行くとか、そういう日常的な生活行為での垂直移動はなくして、この階だけで完結するのを目的としました。食堂やお風呂が遠いのは大変で、障害のある高齢者の場合、食堂と個室の往復の移動だけで1日が終わるような人もいます。歩行器や杖を使って移動される方が「ちょいとお食事、ちょいとお風呂」という気軽に移動できる環境を整えてほしいと要望しました。

2階全体平面図(作成柴田木綿子建築設計事務所)
※本図は講義内では使用されていません

新人でも安心して勤務できる申し送りの仕組み作り

詰所は一切作りませんでした。職員と利用者は一緒にというのがキーワードです。ですから、分断するというような要素は一切排除しました。薬などの触って欲しくないものは、流し台周りの高い場所の棚に置くという工夫をしています。 そして詰所の機能を担っているのは、この家具です。申し送りというのは、目で見て、耳で聞いて、手元に残して、そして何度でも確認できるというのがポイントです。

右にあるのが申し送りの可動家具。勤務中はユニット同士が繋がっている角の部分に配置されており、勤務の合間に記録します。

これは夜勤職員が勤務開始する際の申し送りの場面です。 ひとつのボードに、20人分の利用者の情報が書かれています。前日の夜勤と当日の日勤、ターミナルやショートステイの方、新規の方のことなどが書かれています。下にキャスターがついているので、各ユニットから押して集まり、夜勤の申し送りをします。夜勤は20人を1人でみるのではなく、100人を5人でみるんだという方針で、このような仕組みをつくりました。例えば、新人で夜勤の経験が浅く、不安なスタッフも、自分の担当ユニットでの不安な点を同じ夜勤のメンバーに事前に共有し、何かあったら電話一本で駆けつけられる。そうやって、支え合うことができます。詰所がないので、こうやって集まって、みんなで情報共有するという方法です。

夜勤に入る前の申し送りの様子。全夜勤者が可動家具を持ち寄り、廊下の隅に集まって行う。

誰もが参加できる調理環境の工夫

ここの施設では、特に調理というのを大事にしました。(利用者も含め)スタッフと一緒にご飯を作るということです。 流し台は立った姿勢でも、車椅子でも調理ができるというような設計になっています。その隣には配膳台があるのですが、水回りは固定、配膳台は切り離して動かせるようになっています。 壁側には、食器棚や 炊飯器があります。あらゆる角は丸くなっています。

流し台の右側は車椅子でも使える高さになっています。流し台の奥に可動の配膳台があり、そのさらに奥にコンロがあります。

食べてもらえる食事、美味しい食事とは何か?好きなものを好きな人と好きなように作って食べる。これが一番美味しいのではないかと考えました。ここでは、行事だけではなく、日常的なご飯を美味しくするということを目指しました。栄養士が 献立を考え、それをST・PT・OT[※2]たちが、利用者それぞれの障害と調理の動作を重ね合わせてプログラムを考え、看護師や介護福祉士が一緒に利用者さんと料理を作っていく。全ての過程をみんなができるわけではないけれども、配膳が上手な人、切るのが上手な人、各々の得意分野で参加してもらいます。この施設では 高齢者も包丁を使って調理することも推奨してます。

調理を通して、利用者と若い職員の立場が入れ替わり、むしろ 利用者に調理を教えてもらうようなことが起きます。

※2:言語聴覚士、理学療法士、作業療法士

3部屋に1つのトイレ配置で実現した効率性

この施設は全室個室です。この個室すべてに、トイレを設置するとなると、その清掃を担当する職員には大きな負担がかかります。特に夜勤の職員は、朝までに20人の利用者をたった1人で見守りながら、20個のトイレをすべて清掃するのは現実的に難しい状況です。利用頻度に関係なく、使わないトイレも痛むという問題もあります。 そこで3部屋につき1つのトイレを設置しました。この配置でも運用上、大きな問題はありませんでした。お風呂については、10人に対して1つを設置しましたが、結果的には20人に1つでも十分であったと、開設後、勤務表を作成してからわかりました。浴室が10人に1つずつあっても、日中の勤務者に2人の職員を配置するのが難しい状況だからです。

利用者が最後まで入れるお風呂の設計とは

機械浴はここでは一切採用しませんでした。一般的な個浴で対応しますという方針にしました。 高さはだいたい洗い場の床から40cm ぐらい 。前は内部の深さを 60、55ぐらいにしてましたが、もう50にしました。お湯が溢れ出ることがとても大事なのですが、浴室の床は入浴補助台がグラグラして不安定になるので、水勾配をつけられません。(溢れ出たお湯をうまく排水するために)排水溝をお風呂の周りと、出入口につけてくださいと伝えました。浴槽は女性の力でも取ったり外したりできるような軽い木の素材にしています。エプロンの幅は3.5cm 。手すりの役割も担います。そして、(風呂の内部は)直角は絶対です。もし斜めにしたら、利用者の体を起こすために、職員はものすごい力を必要とするからです。

右側に入り口があり、中央に浴槽があります。浴槽サイドには入浴補助台。

洗い場の台は通常より高くしてあります。なぜならば、片手に麻痺があるような、車椅子使用の方が来て、台におけを置き、片手でお湯を自分ですくって顔を洗ったりする、そういうことが大事なんです。手すりをちゃんとつけ、シャワーは必ず手元でオンオフの操作ができるもの。片麻痺の方も 、四肢麻痺の方も、最後まで普通のお風呂に入れる設計をお願いしました。

のれんを活用した見守りシステム
「押入れトイレ」

間口の広い引き戸を開けると、介助スペースがより広くなる平面計画。外側には手洗いが設置されています。

職員たちは利用者が一人でトイレに行くのは危険なので見守りたいんです。 だけど、利用者は見られたくない。1畳分のトイレとその隣に1畳分の手洗い。(トイレと洗面の入り口に)のれんをかけると、押し車の方や車椅子の方、自分でトイレができるけれどフラつく方、職員は「トイレに入ってらっしゃるな」というのを確認できるのですが、のれんによって全ては見れないというようになっています。

便器の正面にある手すりを押しながら、高齢者が便器から立ち上がる様子。

そしてトイレの中身ですけれども、便器の前に手すりがあります。 高齢者は引っ張るのではなく押して立ち上がります。

介助動線を短縮するトイレ設計

車椅子のまま入れるトイレ。紙巻器は、どこにつけるのがいいのか試験的につけています。

身体障害者トイレは、普通は(奥の)壁に全ての設備がついてます。そして便器と車椅子が正面に向かい合い、半回転して方向転換をして座ります。これが介助動線を長くして、介助を大変にしています。なので、ここでは便器を手前の壁(入口横)に設置しました。そうすると、(扉からまっすぐ入っていくと)車椅子と便器が並行に並ぶ。横に並んで(車椅子の)アームレストを上に上げると、短い横移動だけで済みます。 ALSの首の角度だけで窒息してしまうような方、 筋ジストロフィーの方のように筋肉に力がはいらずくにゃくにゃとした方などが最後までトイレにいけるのは、このトイレのおかげです。

トイレ介助の様子

ただ 左右勝手があります。 この画像のは左片麻痺用です。 ですから、1つのユニットに左片麻痺用と右片麻痺用を設置するというのが重要になってきます。

介護理念を支える施設設計の力

食事排泄入浴にこだわること。一切身体拘束しないこと。認知症、パーキンソン、脳卒中など、最初は病名や障害名をきっかけに出会った利用者と私たちですが、食事・排泄・入浴という具体的な生活行為が利用者と職員の良き体験となり、それが人としての関わりを作る。そのための設計にこだわり抜きました。病名や障害名ではなく、その人の名前を持って最後まで見届けること。そういった私たちの介護展開を器として支えてくれたのは施設の設計でした。

高口さんのセミナーを通じて改めて感じたのは、まず介護方針があり、その方針に基づいて施設の設計が行われるべきだということです。介護に携わる方々が設計に関わることは非常に大変な作業だと思います。しかし、それによって、介護効率や利用者の尊厳が向上するだけでなく、職員たちの介護に対する考え方までも育まれる環境が実現できるのではないでしょうか。

鶴舞乃城の5つの目標のうち「一切の身体拘束を行わない施設」「ターミナルケアができる施設」の2つに関する講義内容についてはここでは取り上げていません。ご興味のある方、高口さんの講義の全ての内容をご覧になりたい方は、「明日の介護を元気にしたい SPARK 2024」の有料視聴にお申し込みください。申し込みは➡️➡️➡️👭👬こちら👭👬

高口光子Mitsuko Takaguchi

理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士・介護アドバイザー・元気がでる介護研究所(公式ホームページ:genki-kaigo.net)代表   
理学療法士として勤務後、特別養護老人ホーム、介護老人保健施設等の現場を経て2022年よりフリーとなり、全国各地での講演・研修会を展開。『認知症の人の心に届く、声の掛け方・接し方(中央法規)』『おひとりさまの老後が危ない(上野千鶴子共著、集英社新書)』が話題となり、最新刊に『介護リーダー7つの勘所(中央法規)』を発行。NHKなどのメディアへも多数出演し、現場からの等身大の発言・提案で現場を変革させようと精力的に日々を送る。

柴田木綿子Yuko Shibata

建築家/合同会社柴田木綿子建築設計事務所代表、ことととぶき発行人
1979年滋賀県生まれ。京都精華大学芸術学部建築分野卒業。吉村靖孝建築設計事務所を経てしばたゆうこ事務所設立。建築設計にとどまらず、デザイン監修、共同研究なども請け負う。吉村靖孝建築設計事務所在籍時にシニア向け分譲マンション 「ソレイユプロジェクト」の設計を担当。独立後の養護老人ホーム設計などを経て、高齢者施設抱える様々な問題に触れる。INSIDE FESTIVAL 2011 residential 部門 2nd、Design For ASIA 2011 Merit Recording受賞。高齢者施設の設計に関わる環境を改善するため、ことととぶきを発行。